今だからこそ伝わる三陸の心

 今年四月、三陸鉄道南リアス線が盛(さかり)・吉浜(よしはま)間で念願の再開を果たしたのを機に、被災地の住民と交流しながら震災からの学びの機会を得ようとする教育現場や企業のための、さまざまな体験メニューが喜ばれています。

整いつつある受け入れの体制

 東日本大震災から二年半が経ちました。あちこちに大きな爪痕が残り、手つかずの空き地が市街地の至る所に点在するものの、道路や鉄道、そして水産業などの地場産業の復旧も日増しにすすみ、気仙地方の海岸部は次第に通常の機能を取り戻しつつあります。
 また、壊滅的な被害を受けた旅館・ホテルなどもここにきて急ピッチで復旧し、被災地を訪れ地元住民との交流から貴重な経験を学ぼうとする人たちの受け入れ体制も整いつつあります。

復旧と共に進む被災地の学び

車掌の説明を聞きながら、津波の爪痕を見る(「震災学習列車」にて)

▲車掌の説明を聞きながら、津波の爪痕を見る(「震災学習列車」にて)

 今年四月、三陸鉄道南リアス線が盛(さかり)・吉浜(よしはま)間で念願の再開が果たしました。これを機に三陸鉄道では「震災学習列車」や「三陸被災地フロントライン研修」を企画し、学校や企業などの研修で利用されています。
 震災学習列車は、東日本大震災のときの様子を車掌から直接説明を受けながら走り、被害の大きかった付近では徐行運転し、地震のときの運転手の行動など災害時に役立つさまざまな教訓を学ぶことができます。
 大船渡市三陸町の吉浜地区は、この大震災で犠牲者が一名、流された民家も数件にとどまり「奇跡の集落」といわれた地域です。この吉浜地区でも漁業施設は壊滅的な被害を受けましたが、若い漁師たち十人で「よしはま元気組」を結成。三陸鉄道とタイアップして「海のフロントライン研修」に協力しています。
 漁師たちは船上から陸を見せ、津波が押し寄せてきたときの様子や、吉浜が明治の大津波の後に先人たちの決断で高台移転して、津波被害を最小限にとどめたことを説明しています。そして湾内で養殖している新鮮なホタテのむき身を参加者に味わってもらいます。

今だから見える三陸の風土と心

船で湾に出て、地元の漁師から津波の時の体験談を聞く(「海のフロントライン研修」にて)

船で湾に出て、地元の漁師から津波の時の体験談を聞く(「海のフロントライン研修」にて)

 この研修では単に大震災の教訓にとどまらず、都市部の生活では見て触れることのできない、三陸の風土や生産者たちの心にまで触れることができるので、震災学習を縁に三陸の豊かな風土を知ってもらうきっかけになっているようです。
 来春、三陸鉄道が南・北リアス線とも、いよいよ全線で開通します。震災学習を通して三陸の美しい風土と地元住民の心にふれてみてはいかがでしょうか。三陸鉄道や「よしはま元気組」のほかにも、大船渡市や陸前高田市には、震災について多くの人たちに学んでもらいたいと活動する「震災語り部」や「観光ガイド」がありますのでぜひ、ご利用ください。

震災語り部観光ガイド紹介

大船渡市
◇三陸被災地フロントライン研修
◇震災学習列車
三陸鉄道(株)
TEL:0193-62-8900
URL:http://www.sanrikutetsudou.com/
◇津波体験語り部
椿の里大船渡ガイドの会
(碁石海岸レストハウス内)
TEL:0192-29-2121
◇語り部による津波映像の解説と被災体験談
大船渡津波伝承館
TEL:0192-47-4408
URL:http://ofunato-tunami-denshokan.jimdo.com/
陸前高田市
◇未来へ語り継ぐ陸前高田
陸前高田市観光物産協会
TEL:0192-54-5011
長洞元気村体験ツアー
長洞元気村
TEL:0192-56-2966
URL:http://www.nagahoragenki.jp
◇陸前高田被災地語り部
くぎこ屋
TEL:0192-47-4299
URL:http://www.kataribe-kugikoya.com/

「奇跡の一本松」復活

「奇跡の一本松」復活

▲献花台も設けられ、終日見学者が訪れています

 陸前高田市の高田松原では津波により約七万本の松が流されましたが、そのなかで一本だけ残った松が「奇跡の一本松」として注目を浴びました。しかし、地盤沈下により海水が浸透し枯死してしまいました。
 この松を復興の象徴として後世に受け継ぐべく、モニュメントとして保存する作業が昨年秋から続けられていましたが、七月にすべて終了し、一般公開されています。
 休日ともなると、「奇跡の一本松」の復活に陸前高田の復興の願いを重ね合わせ、大勢の見学者が訪れています。

明日に向かって頑張っている気仙人

逆境にも負けずに頑張っている方々にお聞きしました。

おせんべいで高田を元気にしたい

菅原泰葉さん

▲「陸前高田手焼きせんべい」製造販売(株)一松商店代表取締役 菅原泰葉さん

 震災時に大学生だった菅原さんは震災を機に陸前高田市に戻る決意をしました。産業も何もない状況の中、新たな雇用の創出のためにと、兄の一高さんと共に会社を設立。
 知人の紹介で草加市の「草加せんべい」の協力を得て、職人から技術指導を受けることができるということで、せんべい作りに取り組むことになりました。
 草加市とは気候も風土も違う陸前高田市で、草加せんべい独特の味を再現するために試行錯誤したといいますが、地元の醤油を使用するなどの工夫をし、ついに「陸前高田手焼きせんべい」を完成させました。
 まごころ込めて焼き上げた商品は、オンラインショップでも購入できるとあって販路は次第に広がっています。

新鮮な海産物をその場で調理できます

金野充雄さん

▲こんの直売センター店主 金野充雄さん

 金野さんの営む陸前高田市米崎町の「こんの直売センター」は海抜約十五mにありましたが、津波で流失してしまいました。再建をめざし、早くから土地探しをしたものの見つからず、苦労の末に購入した土地で再建を果たしたのは、震災から二年以上経った今年の四月二十四日でした。
 食堂と海産物直売所を併設しており、多くの観光客や常連さんでにぎわう店内。人気メニューの「磯ラーメン」を食べるために、観光シーズンには三十分待ちということもあります。
 現在、息子さんがホタテやホヤの養殖と産直を担当し、七十九歳の金野さんは厨房の先頭に立って磯ラーメン作りに汗を流しています。

「笑顔あふれる郷土」を目指して

濱守秀和さん

▲社団法人大船渡青年会議所第45代理事長 濱守秀和さん

 社団法人大船渡青年会議所第四十五代理事長の濱守さんは、震災でメンバーの会社が被災する中、青年会議所の存続が危ぶまれたのですが、メンバーを駆り立てたのは、「明るい豊かな社会の実現」という青年会議所の理念でした。
 震災の年は会社の立て直しに傾注したメンバーたちも、昨年からはようやく活動を本格化。今年八月には四十五周年の記念事業として、「大船渡復興グルメフェスティバル」を成功させ、先輩から受け継ぐ街づくりへの思いを繋ぐことができました。
 今後は後輩の育成に力を入れ、笑顔のあふれる郷土再建を目指したいと濱守さんは思っています。

温泉付きの宿泊施設を建設中です

志田豊繁さん

▲民宿「海楽荘」オーナー 志田豊繁さん

 碁石海岸で民宿「海楽荘」を営む志田さん。震災後、自分にできることは何かと考え、電気が復旧した直後から、避難所にいる人たちのためにお風呂の提供を行いました。
 志田さんは現在、湾口の見える高台に新しい宿泊施設を建設中です。足湯付きの温泉と休憩所を伴った宿泊施設で、将来的には海外からの観光客の受け入れを視野に入れた施設です。仮設住宅に住む人たちにも広いお風呂でゆったりとくつろいでほしいと思っています。
 また、温泉は気仙の木を使った薪ボイラーで沸かす予定だとか。気仙の施設を有効活用した「薪ボイラーを気仙の子どもたちの財産にしたい」と志田さんの夢は膨らみます。

自分なりにできるサポートを

竹野美貴子さん

▲「ぼんずプロジェクト」代表 竹野美貴子さん

 家業である「タケノ文具」を継ごうと、震災直前に大船渡にUターンした竹野さん。震災後は東京時代からの友人から送られてきた支援物資をより多くの人に届けるため、「青空市」を開き支援活動をスタートしました。
 その活動が一段落した昨年、竹野さんは大船渡には復興支援商品がないことに気付き、知人のアドバイスを受け、「ぼんずプロジェクト」を立ち上げました。現在は被災松を使ったハガキやしおりなどの商品を作り、義援金付きで販売する活動をしています。
「将来的には大船渡を代表する商品にしていきたい」と竹野さんの目標は広がります。

ふるさと陸前高田においでください

吉田広行さん

▲民宿「吉田」オーナー 吉田広行さん

 元々漁師だった吉田家は海沿いにあり、これまでに三度の津波を経験していました。民宿を始めて二十五年目の東日本大震災では、急いで避難し難を逃れましたが、民宿は流出してしまいました。
 吉田さんは一度は再建を諦めたといいますが、行政からの補助金に目途が立ち、友人から敷地を借りて再建。今年の四月二日に陸前高田市内の被災宿泊施設の中で最初に再開を果たしました。
 奥さんの聡江さんと二人三脚で頑張る吉田さん。「平日は工事関係者などで予約がいっぱいですが、年末年始やお盆などは宿泊可能なので、帰郷や観光の際はぜひ利用してください」と語っています。

心の支えになるよう頑張っています

金野純一さん

▲住田町下有住公民館館長 金野純一さん

 震災後、いち早く支援活動を開始した金野さんは、住田町で公民館長の傍ら民生委員も努めています。金野さんは陸前高田市に出向いて被災者のニーズ調査を実施したり、公民館に隣接する体育館の遺体安置所指定に協力するなど、震災の初期から地域のために積極的に協力してきました。
 その後、近くに仮設住宅が設けられると自治会づくりに奮闘。各地からバラバラに入居してきた被災者のまとめ役を務めています。
 さらに役場勤めだった経験を活かし、被災者の書類や契約書づくりの相談に乗るなど、行政への橋渡し役として仮設入居者にとって、なくてはならない存在になっています。

気仙の昔を懐かしんでほしい

後藤敏雄さん

▲写真集『気仙の記憶』を発行 後藤敏雄さん

 今年七月、写真集「大船渡・陸前高田 気仙の記憶」を発行した後藤さん。大船渡市末崎町に住む後藤さんは二十二歳の頃から、北海道に出稼ぎに行き、大工として働いていました。そんな後藤さんの趣味はカメラ。帰省のたびに気仙の日常をカメラに収めていました。
 震災後、友人から「撮りためてきた写真は貴重なものだから、後世に残した方がいい」とアドバイスを受け、写真集の発行を決意。写真集には昭和三十年代の懐かしい気仙から現代までの移り変わりが写し出されています。
 後藤さんは震災からの復興を祈りながら、読んだ人に「昔を懐かしんでほしい」と願っています。

避難道路にハナミズキの植樹を

淺沼ミキ子さん

▲陸前高田ハナミズキのみちの会代表 淺沼ミキ子さん

 震災で息子の健さんを亡くした淺沼さんは、夢のなかに現れた健さんから「避難路に木を植えてほしい」と語りかけられたことがきっかけで、震災を風化させまいと「ハナミズキのみち」という物語を書き下ろしました。この物語は、著名な絵本作家の黒井健さんの挿絵により、絵本として出版されました。
 陸前高田市では高台までの避難道路を計画しています。淺沼さんはその街路樹としてハナミズキの植樹を目指し、今年の五月、有志による「ハナミズキのみちの会」を結成しました。
 「命を守る木を植えることが生き残った者の使命」と、今後は賛同者を募り、ハナミズキの植樹の実現を目指します。

未来へ育て!「優しく強い種」

サッカーJリーグ 鹿島アントラーズ
小笠原満男さん

多感な高校時代の三年間を大船渡で過ごしたサッカーJリーグのトップ選手、鹿島アントラーズの小笠原満男さん。震災直後から、地元の仲間やJリーガーとともに並々ならぬ思いで支援活動を続けてきました。

できたばかりのグラウンドで子どもたちとサッカーを楽しむ小笠原満男さん

▲できたばかりのグラウンドで子どもたちとサッカーを楽しむ小笠原満男さん(写真提供:東北人魂事務局/佐野美樹)

近所のみんなが親のよう

 小笠原満男さんは、Jリーグの看板選手として十五年以上第一線で活躍しているスタープレーヤー。大船渡高校の齋藤重信監督(当時)を慕い、単身盛岡から大船渡に来て監督のアパートで三年間を過ごしました。齋藤監督に三度の食事を作ってもらいながら学校に通う生活は、毎日サッカーと勉強に明け暮れ、遊ぶ時間は一切なく、「楽しみは監督の目を盗んでコンビニに行くことくらい」と笑いながら話します。
 それでも、齋藤監督のもとには近所の人やサッカー部の父母たちがいつも地元のおいしい食べ物などを届けて世話をしてくれ、周りの大人たちみんなが親のようだったといいます。

物資の支援に限界を感じる

「3.11」のそのときは試合のためバスで移動中。地震のため高速道上で身動きできず、バスのテレビで大津波の様子を見て衝撃を受け、陸前高田市にある奥さんの実家に電話しても通じない状態でした。
 震災の翌日には車で気仙に行こうと決意しましたが、チームに止められやむなく断念。一週間後に奥さんや三人の子どもたちを乗せ、新潟・秋田経由で気仙に向かいました。
 途中でガソリンを補給し、物資を買い込みながら奥さんの実家にたどり着き、買い込んだ物資を近所の人たちに配りましたが、車一台分の物資では足りるはずもなく、盛岡に買い出しに行っては、また少しずつ配ったといいます。また、齋藤監督に相談して、被災した子供たちのためにボールやスパイクなどの物資を送り続けましたが、物の支援には限界を感じたといいます。

サッカーで励ませるのなら

 そんなとき、たくさんの地元の人たちから「いつも見ているよ。応援してっから頑張らいよ」と声をかけられ、「被災で落ち込んでいる人たちをサッカーで力づけることができるのなら・・・」と思ったそうです。そして、「こんな状態のときにプレーなどできない」と断り続けていた、震災18日後のチャリティーマッチに参加する決心をし、スタメン出場を果たしました。
 こうして支援の活動は、仲間のJリーガーとともに子どもたちと接する機会を多くつくり、サッカーを通じて子どもや父母たちに元気になってもらおうという活動になっていきました。
 そんな中で、被災地には練習するグラウンドがないという大きな問題を抱えますが、「東北人魂を持つJ選手の会」(通称「東北人魂」)や高校のOBらの協力で、今年四月、大船渡市赤崎町に仮設グラウンドを完成させることができました。
「サッカーも復興も似たところがあって、みんなで助け合って同じ方向を向いて頑張れば、必ずいい方向へ行きます」と話す小笠原選手。「東北人魂」という言葉に込めた思いは、東北人が持っている「優しさ」「強さ」そして「助け合いの心」であり、東北人には人としての器の大きさがあるともいいます。例えば、物資配布の列に整然と並ぶ東北人の態度には、チームのブラジル選手がとても感心していたというエピソードがあるそうです。
 サッカーを通して気仙を支援してきた小笠原選手ですが「支援」ではなく「恩返し」だと話します。自分はサッカーで育てられサッカーで生きている。そのサッカーへの恩返しと、サッカーをさせて育ててくれた皆さんへの恩返しだといいます。そして、自分を育ててくれた気仙に住む子どもたちとふれ合い、笑顔を見ることは自らの大きなモチベーションになっていて、それは気仙をはじめとした被災地に直接行かなければ、手に入れることができないものだといいます。
 大船渡での高校生活が縁で強くつながっているこの気仙地方と小笠原選手の心の絆から、未来へつながる「優しく、強い種」がたくさん生まれ育っていくに違いありません。

東北人魂事務局 info@tohokujin-spirit.com

被災地の今 高田高校遠望

 道の駅タピック45の屋上から県立高田高校方面を望む。
 昭和35年のチリ地震津波後しばらくは田畑でしたが、高田バイパス開通を境に急激に発展してきた地域でした。

▲高田町内と高田バイパスを結ぶ道路に沿って住宅が建ち並んでいました(写真提供:渡辺雅史・タクミ印刷)

▲津波は高田高校の3階まで押し寄せました(写真提供:渡辺雅史・タクミ印刷)

▲高田高校は取り壊され、新たに裏山を崩して再建工事中です

気仙とともに No.14
製造業を起こし、雇用確保と外資獲得をめざす

陸前高田地域振興株式会社 代表取締役
小山 剛令さん

小山剛令さん

 市内の主要な観光産業施設を運営していた陸前高田地域振興(株)ですが、一民間企業の枠を超え、震災後は地域の産業振興のため一層活発な経営を展開してきました。その根底にあるのは製造業の再興による雇用の確保と外資の獲得です。

 陸前高田地域振興(株)は、「キャピタルホテル1000」「陸前高田オートキャンプ場モリビア」「道の駅 高田松原・タピック45」など市内の主要な観光産業施設の経営に深く関わりながら地域の発展へ貢献してきました。しかし、東日本大震災により「モリビア」以外の施設はすべて被災してしまいました。

陸前高田の産業の要として

 震災でかろうじて残った「モリビア」は、ボランティアや復興支援の業者のための宿泊所として活用され、市の復興に大きく貢献し、会社自体も震災の年から黒字営業を続けてきました。
 また昨年七月には、高田町にコンテナハウスによる「陸前高田物産センター」をオープン。市内の企業が次第に復旧を果たすなかで物産販売の場所を早期に確保することが必要と考え設置しましたが、店内には商品が所狭しと陳列され、市内の業者や陸前高田を訪れる人たちに喜ばれています。
 陸前高田市の迎賓館として重要な役割を果たしてきた「キャピタルホテル1000」は、これまで市から経営を委託されていましたが、再建にあたって新会社が設立され、小山社長はその会社の会長に就任しました。復旧のシンボル的なホテルの再建は市内外の大きな期待を集め、十月二十五日のオープンをめざし建設中です。

地域貢献への誇りを持って

 震災後、雇用の確保を念頭に置きながら陸前高田市のまちづくり再建に取り組んできた小山社長の誇りは、「民間企業として自力で外資の獲得に努め、地域に貢献してきた」という一点だといいます。
 第三セクターとして、これまでも民間企業のノウハウを取り入れながら経営を行ってきた小山社長。震災後はやむなく従業員を減らして経費を削減しましたが、それでも年間八千万円の経費がかかるものだといいます。社員一丸となって、それを賄うだけの売上を作りつつ黒字にしてきたという誇りが小山社長を始め、社員たちからにじみ出ています。

雇用創出と外資獲得をめざし

 そして先般、小山社長は、気仙沼市や陸前高田市内の水産加工関連企業と連携し、浸水した同市気仙町の長部(おさべ)地区の工業団地に「陸前高田食品加工協同組合」を設立しました。この組合ではゼロ・エミッションと呼ばれる残渣を出さない手法と、互いの販売ルートを共有し合い相乗効果で売り上げを伸ばしていく手法が取られます。
 震災前の陸前高田市全体の商品の出荷額は百六十五億円ですが、小山社長はこの組合だけでその出荷額を上回ることができると意気込んでいます。この組合が軌道に乗ることにより周辺に二次的産業を生み、さらなる雇用を創出することが期待されています。
 製造業を起こし、外資を獲得しようとする小山社長の取り組みはこれからがいよいよ正念場となります。

■陸前高田地域振興(株)
TEL:0192-59-2107
URL:http://www.rikutaka.co.jp

気仙の人気ゆるキャラ 「おおふなトン」と「ゆめちゃん」

「おおふなトン」と「ゆめちゃん」も園児に囲まれ嬉しそう

▲「おおふなトン」と「ゆめちゃん」も園児に囲まれ嬉しそう

 震災後、市民を元気づけ外部に向かってさらなる情報発信をしようと、「ゆるキャラ」が誕生しました。
 陸前高田市の公認マスコットキャラクターとして平成二十四年一月に誕生した「たかたのゆめちゃん」と、平成二十五年二月に銀河連邦サンリクオオフナト共和国PRキャラクターとして誕生した「おおふなトン」です。
 子どもたちを笑顔にする応援団長である「ゆめちゃん」は、その愛らしい姿やしぐさで大人気。保育園の訪問やイベント出演で全国を飛び回っています。
 また、誕生してからまだ半年ほどの「おおふなトン」は、五月の「碁石海岸観光祭り」でデビューを果たし、キレのあるダンスで一気に来場者の心をつかみ、キャラクターグッズもどんどん増えています。
 八月五日、そんな人気者の二人が大船渡保育園を訪れると園児たちは大興奮。「ゆめちゃん」「おおふなトン」と声を掛け、抱きついたりして離れません。泣いちゃう園児がいるのはご愛嬌。園児たちは「ゆめちゃん」と「おおふなトン」が大好きで、笑顔満開で遊んでいました。

ケセンロックフェスティバル ~地元の誇りをフェスでつなぐ~

ケセンロックフェスティバル

▲大自然の中、復興の思いをフェスでひとつに

 震災後二回目となる「ケセンロックフェスティバル’13」が、七月十四日住田町の種山ヶ原イベント広場で開かれ、国内のトップアーティストら十組が熱い演奏を披露しました。
 集まった観客は約三千人。ステージの合間には家族や仲間たちとくつろぎながら、緑の高原と広い空の下でロックを堪能できる種山ヶ原ならではの醍醐味を存分に味わっていました。
 フェスを通じて「地元の誇りを若い世代と共有し、地域を盛り上げたい」と09年に初開催以来、その知名度と心意気は年々全国に広がりつつあります。

震災を乗り越えて茶摘み復活
北限の気仙茶

海外からのボランティアも参加して行われた茶摘み

▲海外からのボランティアも参加して行われた茶摘み

 東日本大震災で出荷自粛になっていた北限のお茶・気仙茶ですが、いよいよ今年から復活。茶摘みには地元の生産者に混じって海外からのボランティアも参加して行われました。
 出荷自粛による生産者の減少に危機感を持った関係者が昨年「北限の茶を守る気仙茶の会」を結成し、これまでに刈払や剪定を行ってこの日を迎えました。
 まだ生産者が少なく自家消費が中心ですが、昔ながらの風味豊かな味わいが特徴で、今後は生産量を増やし特産品にしたいと意欲満々です。

地域づくりの”灯台”として
ケセンきらめき大学

今年行われた「気仙まるごとものしり検定」の問題集

▲今年行われた「気仙まるごとものしり検定」の問題集

「ケセンきらめき大学」は、二市一町の枠をこえた気仙の地域づくり団体です。「観光学部」「地元学部」「食文化学部」の三学部で活発な活動を展開し、今年九月には法人化を果たして、さらなる飛躍をめざしています。
 震災前から行ってきた「気仙まるごとものしり検定」は今年、震災後初めて実施。地域の人たちに気仙文化の独自性をあらためて認識させました。
 震災で多くの住民が目の前の復旧に精一杯な中、地域で育まれてきた伝統や文化を見すえた「ケセンきらめき大学」の活動は地域づくりの”灯台”のような働きをしています。

編集後記

 震災後発生から2年半が過ぎ、被災地で最も懸念されているのは「記憶の風化」です。一面でお伝えした観光の取組をはじめ、今回の大津波の経験を後世に伝えていこうとする活動が、当気仙地方でも盛んに行われています。
 被災した宿泊施設や飲食店、交通機関等が徐々に復活し、復興に向けた動きが進展していく中で、街並みも被災直後とは変わりつつあります。全国の皆さまに被災地・気仙地方の現状を正確にお伝えできるよう、私たちも努力を続けて参りたいと思います。
 今後も、三陸復興の実現に向け、全国から気仙地方に対し、力強いエールを送ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。
[気仙新聞 第14号 発行:平成25年9月20日]

[発行] 岩手県沿岸広域振興局 大船渡地域振興センター

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TEL 0192-27-9911
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