2 0 1 1 年 3 月 1 1 日 1 4 時 4 6 分 東日本大震災発生以来
ホテルスタッフと地元住民、ボランティアの方々とともに歩んできた
南三陸ホテル観洋の記録です。
私たちの記憶を多くの皆様にお届けすることで、
将来の防災・減災への取り組みにお役立ていただければ幸いです。

震災前後の南三陸町の動向
震災前後 南三陸町

情報発信――まずは知っていただくこと

震災直後から毎日更新し続けるブログ
インターネットから全国へ情報発信

 震災以前から毎日更新していたブログやTwitter。携帯電話の電波が繋がりにくかった震災直後から、HP制作会社と連携しながら更新を続け、被災生活の状況を発信し続けていました。現在も毎日、ブログやTwitter(@kanyo11)、Facebookにて生情報を配信中。詳しくは公式HP(http://www.mkanyo.jp)にて。

ホテルのお客様へ実体験を伝える語り部バスを毎日運行

 自宅を津波で流されるなど、自らも被災者となったホテルスタッフが、「語り部」となって当時の様子を伝えながら、南三陸の現状をバスで見学する「語り部バス」を2012年2月よりスタート。2013年3月現在、ご案内したお客様はのべ3万人以上に。街の様子を見て回るだけではわからない、実体験、生の声を伝えています。

東日本大震災 発生当日からを振り返る

東日本大震災の発生当日、当館にはお客様とホテルスタッフ、周辺住民の合計350名が滞在。震災直後の対応から、二次避難所として600名の地元の皆様とのコミュニティを醸成した取り組みを振り返ります。

2011年3月11日(金)14時46分 M9.0 東日本大震災発生!
南三陸町で震度6弱の揺れと最大20m以上の津波が襲来

地震直後に停電となりましたが、水は貯水タンクの水が使えました。館内のお客様をスタッフが高台の託児所マリンパルへ誘導。直後から住民の方々が当館を目指して、次々と着の身着のままで避難してきました。

当館は2階大浴場まで津波が浸水

志津川町内

▲震災当日の17時過ぎ、南三陸ホテル観洋から雪が降り積もる志津川町内を撮影。志津川湾に津波で流された家屋の瓦礫等が浮いていました

電気・水・道路などライフラインが絶たれ孤立状態に

余震が続き段々と暗くなっていく中、皆様に夕食をお配りしました。スタッフは笹かま一枚。その日のうちに厨房にて食材の在庫から一週間分の献立を作成し、提供を開始。携帯は一部の機種が辛うじて繋がる程度で、ラジオからは耳を塞ぎたくなるような情報が次々と入り、安否確認・周りの状況が掴めないまま、ホテルロビーやバス・車内にてそれぞれ眠れない夜を過ごしました。

3月13日(日)(震災から3日目)
ご宿泊者のチェックアウトを開始

志津川町内へ向かう橋が壊れていたり、仙台方面の道路は、瓦礫で寸断されたり、木材が倒れていたり、道路が崩壊して孤立状態。三日目にして、瓦礫の中を自力で乗り越えながらも何とか移動することができるように。正午に警察の方々と一緒に横山避難所に向かうことになりました。前日に計画を立て、宿泊者のチェックアウトを順次開始。午前10時にはチェックアウトしはじめ、正午にはお客様を乗せたバスが出発!大変な状況にあったのにも関わらず、『本当にありがとう!』『また泊りに来るよ』『頑張ってね!』等、温かいお言葉にスタッフ一同、感激しました。

3月17日(木)(震災から7日目)
ご宿泊者全員が無事チェックアウト完了

ご宿泊者全員が帰路につく一方で、家を流失したスタッフや関係者がホテルで助け合いながら避難生活が始まりました。

3月19日(土)(震災から9日目)
給水車支援がスタート

給水車支援

▲セントラル自動車が登米市から運んでくれました

セントラル自動車(現トヨタ自動車東日本)様のご支援により、給水車で20tの水が届けられるようになりました。通常営業時の使用量は一日300t。その後、同社のご厚意により、一日60t、80tと増量していただくようになりました。皆で節水に努め何とか生活できていましたが、水が無いと水洗トイレが使用できず仮設トイレを使用したり、洗濯が出来なかったり、お風呂も週に一度か二度しか入れず衛生面の心配がありました。

自衛隊により水尻川の仮設橋が設置

3月23日(土)(震災から13日目)
様々なボランティアの方が南三陸へ

当館スタッフの青森の仲間、アンジェラさんが南三陸に来てくれました。『OGAインターナショナルスクール』では、今回の災害地の為に何かしたい!という事で、青森から支援物資を集めて持ってきてくれました。ホテルを拠点に各地を周り、情報収集して、物資が行き届いていない場所に物資を届けるとのこと。その他多くのボランティア団体、スタッフが被災地に続々と入り始め、ホテルを拠点にして活動。南三陸を元気にするために、ホテルが復興の拠点になりはじめていると感じた時期でした。

医療団体の活動拠点にも

4月9日(土)(震災から30日目)
ホテル併設の託児施設マリンパルに発電機

4月10日(日)(震災から31日目)
ホテル観洋本社(株)阿部長商店 創業50周年記念日

本来であれば華やかに祝典が催される予定となっていましたが、みんなで昼食の前にジュースで乾杯です。

4月15日(日)(震災から36日目)
南三陸町内のインフラが徐々に復旧ホテル内にもようやく電気が通る

震災から36日目にしてようやくホテルに電気が復旧。翌々日には、ボランティア支援によるジャズライブをホテルロビーで開催しました。

4月23日(日)(震災から44日目)
いまだ断水が続く中でお食事処「海フードBBQ」営業再開

海フードBBQ

断水が続いている中でも、出来る限りのおもてなしをしたいと、限られた時間、食材や食器でお食事処「海フードBBQ」の営業を再開。お客様の中には避難所に身を寄せている方もいらっしゃって、温かい食事に「家族にも食べさせてあげたい」と涙ながらに話された方や、限られたおもてなしでも笑顔で「ごちそうさま」とお帰りになる方も多く、わたしたちにとっても「これからも頑張っていくぞ!」という励みになりました。

5月5日(土)(震災から56日目)
ホテルの施設を二次避難所として地元被災者の方々の受け入れを開始

二次避難先としての受け入れ準備のため、住民のネームプレートやしおりを作るなど態勢を整えました。当館に南三陸町の地域住民の皆様600名の方がお引越しされ、各フロア毎に班長を決めて自治会を発足し、毎週ミーティングを行いました。医療、インフラ工事関係者を含め、総数1000名の受け入れ開始。

5月18日(水)(震災から69日目)
避難住民の運動不足解消にひまわりを育てたり、イベントを開催

様々な地域よりお越しくださいましたボランティアの皆さんに、避難住民の運動不足解消のための体操やマッサージを教えていただき
ました。復興のシンボルとなるひまわりを育てたり、談話室にてお茶を飲みながら、ちょっとした交流会も行ないました。

5月26日(木)(震災から77日目)
「洗濯ボランティア」スタート

未だ通水されていないので、洗濯物は小一時間かけて隣町に持って行き、コインランドリーで洗濯したり川で洗濯をしたり。川で洗濯なんて、信じられない話かも知れませんが、本当
なんです。何とか町民の方々が過ごしやすくなる様に、「仙台の洗濯ボランティア」に依頼。避難住民の班長会議に担当の方をお呼びして説明会を開き、早速お願いすることに。

5月28日(土)(震災から79日目)
地元雇用の受け皿として…
阿部長グループ新入社員30名の入社式

この日、阿部長商店グループ全体の入社式が執り行われました。総勢30名が入社してわが社も活気が出ています。入社式まではボランティアをしたりとそれぞれ頑張っていたようで頼もしい子たちばかり。入社式の数日前には南三陸町役場、防災対策庁舎に二人の新入社員が訪れました。二人は震災後初めてこの地を訪れ、献花をしました。ライフラインがすべて整っているところから、日常生活でさえ不便なこの南三陸へ来るのも覚悟があったと思います。新入社員は静かに亡くなった方々のご冥福を祈っておりました。

6月19日(木)(震災から101日目)
そろばん教室など、子どもたちの学習支援プロジェクトがスタート

本や学習道具、勉強する場所さえも失った子供たちのために、学習の機会と場所を提供。寄付していただいた1万冊もの本で館内に臨時図書館を設置。学習塾としての機能を持つ寺子屋や
そろばん教室、ボランティアスタッフとの英会話レッスンなど学習支援プロジェクトをスタートしました。

6月27日(月)(震災から109日目)
海水を淡水化するシステムが稼働!ようやくお風呂が毎日入れるように

水が出ない、という事は何をするにも大変だと思い知った私たちですが、栗田工業様と日本財団様、戸倉工業様の多大なご支援により、この日から海水を淡水化するシステムが稼動しました。6/20からは栗田工業様のご支援で南館5階、6階のフロアのトイレが使用可能に。そして6/27からは日本財団様、戸倉工業様のご支援がプラス。これにより◆館内すべてのトイレ、お部屋の洗面所が使用可能に ◆1週間に2回だった入浴が毎日可能に ◆冷房も利用可能! 館内のトイレが利用可能になると、臭いの問題や仮設トイレで悩んでいたハエの異常発生等が一気に解消し、感染症や熱中症の心配がなくなる等、様々な問題が解決していきます。ようやく普通の日常生活を送れる様になりました。

7月2日(土)水道復旧震災から114日目

7月24日(日)(震災から136日目)
2階大浴場・露天風呂が再開

当館2階に位置する大浴場も津波の直撃により大きなダメージを受けておりましたが、震災から3カ月以上経ち、復旧工事が完了。南三陸温泉の湯が満たされ、営業が再開されました。

8月31日(水)(震災から174日目)
二次避難所としての役割が終了

感謝の集い

▲『数ヶ月間お世話になったから、スタッフの方々にサプライズで』と住民の方々が「感謝の集い」を企画

9月1日(木)(震災から175日目)
仮設住宅とホテルを巡回する「観洋ぐるりんバス」を運行

震災から間もなく6 ヶ月。当館に二次避難していた皆様は、徐々に仮設住宅への入居が決まり、新しい生活が始まりました。二次避難所としての役割を終えた中、地元の皆様に、もっと気軽に!もっと身近に!当館を利用していただきたいという思いから、仮設住宅を巡回するホテルの定期バス「観洋ぐるりんバス」の運行を開始。当館の広間でお茶飲み会も実施し、和やかなコミュニケーションの場を設けていきました。

EVENT

避難住民やボランティアスタッフに癒しを届けた数々のイベントは2年間で600回以上

マッサージ メイクアップ ヘアカット 音楽ライブetc

日本国内に留まらず、世界中の皆様からご支援、ご協力をいただいて開催された数々のイベント。その一つ一つが、被災住民、ホテル・ボランティアスタッフなど、すべての人たちの勇気となり力となりました。

Messege from Kanyo

防災、減災への備え、 伝えたい思い 未来へ活かして欲しい 震災の経験

出会いに感謝し、魅力ある地域づくりを

南三陸ホテル観洋 女将 阿部憲子

「千年に一度の災害は、千年に一度の学びの場」であり、町を元気にする為にも、皆様にお越し頂ければと存じます。今後もご縁を大切にしながら、新しい地域づくりに向け力を合わせて努めて参ります。
【南三陸ホテル観洋 女将 阿部憲子】

多くの支えで子どもたちが元気に

託児所マリンパル 保育士 小野寺ひとみ・三浦美香

様々な教訓を無駄にする事の無い様に、防災マニュアルを作成しました。震災直後は子供達との時間が満足に取れなかった為、現在は子供達との時間を大切に託児しています。
【託児所マリンパル 保育士 小野寺ひとみ・三浦美香】

この震災を風化させないために

【南三陸ホテル観洋 渉外部長 伊藤文夫

多くの方々に助けられて生活してこれた、感謝の気持ちを忘れずに。私の話を真剣に聞き、亡くなった方の為に涙を流してくれる人が居る限り、語り部として多くの方に語り継いでいきたいです。
【南三陸ホテル観洋 渉外部長 伊藤文夫】

無駄を出さないように徹底を

南三陸ホテル観洋 調理次長 芳賀弘幸

一日一日を乗り切りながら無我夢中で突っ走った震災直後でした。今は、食べ物の無駄を出さない様に、水も大切に使いながら、震災前よりも増して在庫管理を徹底する様になりました。
【南三陸ホテル観洋 調理次長 芳賀弘幸】

ご支援と激励をいただいたすべての皆様に、感謝の思いを込めて。

編集/南三陸ホテル観洋 発行/2013年3月11日
宮城県本吉郡南三陸町黒崎99-17 TEL:0226-46-2442
URL:http://www.mkanyo.jp twitter:@kanyo11

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東北三陸復興応援団は、応援団と現地の方が力を合わせて
復興を目指せる架け橋になることを目指しています。