南三陸を目指して 大海を渡る命のメッセンジャー

海とともに生きるまち

三陸の川で生まれた鮭たちは
小さな身体で何千キロもの距離を旅する。
卵からかえり、無事成長できる確率はきわめて低い。
三陸の人の手で育てられ
津川湾で準備を終えた鮭たちは
大海へと旅に出る。
年以上の歳月を見事旅した鮭たちは
はるか北の海から南三陸の川に帰ってくる。
孫を残すために
最後の力を振り絞って川を遡ってくる。
その一心不乱の姿は
「生きろ!」と叫ぶメッセンジャーのようだ。
秋、南三陸の川では
新しい命へのバトンタッチのドラマが
繰り広げられている。

  南三陸町は鮭の帰ってくる町だ。
  志津川地区の水尻川と八幡川では毎年10月20日過ぎから、12月20日まで帰って来た鮭を捕獲し、採卵する作業に追われる。
  南三陸町産業振興課技術主幹の及川浩人さんによると、鮭が帰ってくるピークは例年11月20日前後ということだ。震災前には1日1500尾から1600尾が帰って来ており、1シーズンで1万5千尾から2万5万千尾の捕獲量があった。震災後はピーク時でも1日1000尾、通常は100尾から500尾の間で推移しており、昨年度は9千万尾の捕獲量にとどまっているという。
  捕獲した鮭から卵を取り出し、稚魚に育てて放流する。すると4年後、その約1%が南三陸の川に戻ってくるのだそうだ。稚魚の放流数は、震災前は約700万尾から1千万尾だったのが、震災後の現在は250万尾から500万尾の間で推移している。
  秋の声を聞くと、志津川淡水漁業協同組合は、鮭を迎えるための網や梁の準備でにわかに忙しくなる。10上旬には梁と捕獲場の準備が完了し、鮭の帰りを待つばかりになる。
  10月下旬、鮭は長い旅を終えて帰ってくる。梁で鮭を捕獲し、現場で採卵作業を行う。町営第一ふ化場で、卵に目玉が出来るまで。収容しておき、30前後で卵に目玉が出来る。その後、死んでいる卵と生きている卵とを取り分ける。取り分けた卵を町営第二ふ化場にある浮上槽というボックスに入れ、エサが食べられる大きさまで収容する。自然界ではこの卵が稚魚に育つ確率は1%以下とされているが、ここでは8割から9割が稚魚に成長する。
  浮上槽から大きくなった稚魚(体長30ミリメートル以上)を飼育池に移して餌を食べさせる。すると、約1か月で体長(尾叉長)5㎝、体重1グラムの放流できる大きさになる。成長した稚魚は、2月から4月半ばまでの間に水尻川と八幡川に放流される。
  南三陸生まれの稚魚たちは、5月中旬頃まで滋養豊かな志津川湾で、栄養を補給し長旅に備える。それから北上し、最初の一年はオホーツク海で過ごすことが知られている。次の1年はさらに北上してベーリング海へ、3年目はカナダ寄りのアラスカ湾で過ごす。4年目は再びオホーツク海まで戻り、産卵の準備を整え三陸沖を南下。志津川湾沖で鮭は生まれた日(採卵日)に川に遡上する準備をする。鮭は湾沖で真水を吸うと体表は「婚姻色」と呼ばれるまだらの色に変わる。雄は鼻が曲がり歯も鋭くなる。彼らは生まれ故郷の川のにおいを辿りながら、生まれた川に帰ってくるという。いよいよ川に近づくと雌のおなかにぎっしり入っていた筋子状の卵はほどけてルビーのような玉になる。
  鮭たちは最後の力をふりしぼって川をのぼる。満潮や干潮は関係なく、網を食いちぎっても川を遡ろうとするそうだ。
  きわめて困難な条件を稀少な確率で生き残り、長い道のりを旅し、やがて子孫を残すためにぼろぼろになりながらも必死で川を上る鮭たち。その姿は、子どもたちにとって最高の教材だと及川さんは語る。町立入谷小学校では、鮭の捕獲と採卵を見学した後、卵に目が現れる発眼時にもう一度観察し、稚魚を育てるふるさと学習を行っている。そして、3月には自分たちの手で大きく育てた稚魚を川に放流する。かけがえのない命に触れながら、子どもたちは4年後に鮭が帰ってくるのを心待ちにするようになるという。
  震災の年には、育てていた稚魚のわずか1割未満の、50尾を放流しただけだった。ほとんどの稚魚は、大津波で流されてしまった。来年度は震災から4年目。果たして鮭たちが南三陸に戻ってきてくれるのか。南三陸町の人々は、鮭たちの無事の帰還を祈るような気持ちで待っている。

南三陸 鮭

みなさんの食卓に地元生まれの旬の食材を

小野 勝良さん

南三陸直売所 みなさん館 館長

みなさん館のスタッフ、なでしこの会と農家の首藤さん

▲みなさん館のスタッフ、なでしこの会と農家の首藤さん(右から2番目)

  南三陸町歌津に、活きのよい農産品や魚介が並ぶ直売所がある。「南三陸直売所、みなさん館」はこの10月で開店1周年を迎えた。7月から新館長に就任した小野勝良さんたちが、町民のみなさんや南三陸を訪れるビジターのみなさんに何度もおいでいただきたいと、知恵をしぼりながら営業している。
  被災して町に店舗がなくなり生産者たちは商品を売る場を失った。小野さんたち中心メンバーが参加者を募り、約50の生産者が集まってみなさん館を運営している。畑や海で収穫した採れたての一次産品が、店に毎日持ち込まれるほか、大好評のおかあさんたちの手作り味噌や、手工芸品、水産加工品、海藻などがところせましと並んでいる。
  みなさん館の厨房では、なでしこの会のおかあさんたちが、お弁当づくりに追われている。ランチタイムには、自慢の魚介を使った浜ダコ刺身定食、イカ焼定食、さばの一夜干し焼き定食など、季節毎の旬の家庭料理を、食堂スペースでいただくことができる。中心メンバーは5人。代表の及川文枝さんは、「おいしかったと言われた時、お客さんがリピートしてきてくれたときが何よりうれしい。」と語る。互いにメニューを提案し合ったりして、地元の素材にこだわった家庭の味を提供しようと工夫しているという。この日も新しいアイディア料理をみんなで試食しながら、にぎやかにお弁当作りが進んでいた。
  みなさん館の建設を全面的にサポートしてくれた支援団体は、南三陸の産品を大阪などで販売し、南三陸をPRする支援を継続してくれている。登米市の直売所と交流しながら、海と山両方のものをお互いに取り扱う協力体制も作ってきた。
  野菜を搬入に来た生産者の首藤正紀さん、幸子さん夫妻は、「とにかく味だけは自慢できる!」と収穫したてのりっぱなキュウリを店頭に並べていた。南三陸の生産者が、汗水流し丹精込めて育て上げた自慢の品々がずらりと並ぶ店内。小野館長自身が手塩にかけて収穫し、天日干しにこだわった新米が,店頭に並ぶ日も近い。

■南三陸直売所 みなさん館
南三陸町歌津字管の浜 57-1
TEL 0226-36-2816
FAX 0226-25-9277
e-mail: info-m@minasankan.com
営業時間:9時~18時(4月~10月)
冬季(11月~3月)9時~17時 月曜定休

人が集い、くつろぐ場をつくる夢をあきらめずに

三浦 省子さん

民宿 コクボ荘

三浦 省子さん

  歌津地区にコクボ荘が帰って来た。震災前は泊浜の海辺に建っていた民宿コクボ荘。昭和47創業の釣り宿として多くの人たちに親しまれてきた。三浦啓一さん、省子さん夫妻は、平成11年12月に一大決心してリニューアルし、コクボ荘は海が一望できるお風呂と魚料理が自慢の宿になった。
  大津波に襲われて骨組みだけになったコクボ荘の無残な姿の写真を、夫妻はずっと仮設住宅の壁に貼っていた。2か月の避難所生活のあと、民宿の再建をあきらめ、夫婦二人で住み込みで働くしかないと、仕事を探しに行ったこともある。その後、二人は少しでも地域の人たちのために手助けできればという思いで、町の生活支援員として働いた。今まで話したことのなかった人たちとも知り合えた。
  省子さんはそんな生活の中でも、「ふと海に行くと、以前のように、そこに自分たちのコクボ荘があるのではないかと時折思った。」と語ってくれた。仮設の壁に貼ってある写真を見ながら、これが現実なんだと自分に言い聞かせた。そのうちに、自分たちの仕事は、やはり町の人たちが集う宴の場をつくること、南三陸の海をお客様に楽しんでもらうことなのではないかと、思えるようになっていったという。人が集い、くつろげる場をつくることが自分たちの夢だったのではないか、と二人は幾度も幾度も考えた。地域の方々が寄り合える場所と、何度も通ってくれるボランティアの方や常連のお客様たちがくつろげる場所を自分たちがつくるべきなのではないか、と二人は思い立った。多くの町の人たちの力添えを得て、山林を切り拓き、さまざまな難題を乗り越えながら、この夏、高台に6室の客室がある民宿を再建した。
  地域の方々が、再建を自分のことのように喜んで声をかけてくれたりする。「町のみなさんに、食事会やお祝い、会合、宴会に使っていただけて本当にうれしいです。」省子さんは語る。「外からおいでになる方には、この町に笑顔を運んで来てほしい。南三陸の新鮮な海の幸を使った魚料理をみなさんに楽しんでほしいんです。」
  大好きな南三陸の復興のために、夫婦ふたりで新しいコクボ荘を切り盛りしていきたいと省子さんはとびきりの笑顔を見せた。

省子さんが綴るブログ⇒http://kokubo.da-te.jp/

■民宿 コクボ荘
南三陸町歌津字小長柴 60
TEL/FAX 0226-36-2245
料金例:7,000円~(一泊二食付)
    5,000円~(素泊まり)
部屋数:6部屋

大自然の美しさと三度の食事

及川 福子さん

神割観光プラザ

及川 福子さん

  神割観光プラザは、名勝神割崎のすぐそばにあるガラス張りのモダンな建物だ。リアス式海岸の地形にエメラルドグリーンの海が寄せては返す光景を間近にしながら、ランチやコーヒータイムを楽しめる。及川福子さんは町からの委託でこの建物と隣接のオートキャンプ場の管理をしている。
  震災の時、断崖の上に建つこの建物はびくともしなかった。しかし、信じられないことに、いつもははるか下の方にある海が、あっという間にこの断崖を駆け上り、プラザが建つすぐ下の小道まで浸水した。「空も海も一枚の壁になってやって来ました。」そう及川さんは語った。神割崎までの道は途絶え、及川さん自身も家に帰れないまま、近くの避難所で2か月過ごした。
  その現実がうそのように、青い海と緑の松と荒々しい岩肌のコントラストが美しい。晴れた日には、金華山や唐桑半島も見える。及川さんは「神割崎は恋人岬。」と言う。大自然の織りなす奇跡のような光景が、日々繰り広げられる。2月中旬と10月下旬には、二つに割れた奇岩の間から日の出を望むことができる。夏は松林の中の遊歩道を歩くと、ニッコウキスゲやハマギクなどの可憐な姿に出会うことができる。
  9月まで、神割観光プラザは、瓦礫処理の作業に携わる作業員の宿舎として機能していた。山梨から滞在している15人ほどの作業員の朝昼晩の食事を毎日まかなった。朝は4時半おき、夜は片付くのは8時頃だ。作業に当たる人たちが、暑い夏にも夏バテしないように、栄養バランスのとれた食事を精一杯考えた。
  すっかり変わり果てた町が復興するためには、まず最初に瓦礫がなくならなければならない。作業してくれる人たちを支えることで、復興に貢献したい。自分のできることを一生懸命にやることで、何かの役に立ちたい。そう及川さんは考えたという。作業員のご家族が夏休みにやって来たり、山梨の桃やブドウが届いたり、「富士山においでよ!」と声がかかる。作業員の方々とはまるで親戚のようなつきあいになった。
  「これからも、復興に向けて少しずつ変わっていく町を見にまた来てほしいし、その時はこの神割崎の変わらない自然も楽しんでほしいんです。」
復興への時間は、人と人、南三陸の自然と人とを着実に結びつけている。それは、何にも代えがたい宝物だと及川さんは語る。

■神割観光プラザ
南三陸町戸倉字寺浜 81-23
tel 0226-46-922
営業時間:4月~11月 10:00~15:00
    12月~3月 11:00~14:00 火曜定休 夕食は予約要

なによりもひとが財産!

成澤 英子さん

ほったて小屋

成澤 英子さん

  国道45線沿い、 JRのBRT戸倉駅の向かい側に「ほったて小屋」という看板を掲げた食堂が建っている。窓からは志津川湾の青い海が見える。「ほったて小屋」を切り盛りするのは、成澤英子さん。震災前は着物の仕立師だった。震災後、せっかく収穫したホタテが原発関連の風評被害で売れなくなり、漁師たちが困っていた。「だったら、テントを張って、ホタテを網で焼いて食べさせればいいんじゃない?」ふと口にしたことが、この店誕生のきっかけになった。
  瓦礫片付けなどに来てくれていたボランティアの方々に仮設住宅でよくごはんをふるまっていた。それを味わった若者たちが、このアイディアに賛同して食堂建設の支援に動き出した。
  地場で採れたホタテ、カキ、イカ、タコを焼いて食べることが、南三陸の何よりのごちそうだ。そのとき採れたものが一番のご馳走。そう成澤さんは考え、国道沿いの土地を借りて食堂を始めた。
  店を出してみると、復旧作業に従事する人たちが毎日のようにやって来る。また、町の人たちもお客様が来たときに利用してくれるということがわかり、毎日食べてもらえるメニューも取り揃えることになった。ほったて小屋自慢のホタテご飯には、ホタテが丸ごと入っている。満足度120%のメニューばかりである。また、味噌をつけて網焼きしたおにぎりも、テイクアウトできるように準備している。
  被災した直後に、持病が悪化してヘリコプターで石巻赤十字病院に運ばれた。食料も水もなく病院から戸倉に帰る車もなかった。当時の心細さを思い出すと思わず涙が流れる。その時から、みんなで助け合いながらなんとかここまでやって来た。遠洋漁業に行っていた夫も、開店からしばらくは慣れない仕事を手伝ってくれた。
  店には通りかかったいろいろな人が立ち寄る。南三陸の食を通して、遠くからやって来た人たちと知り合い、フェイスブックでの情報交換が続いている人もいる。みんなと交わした言葉、そこに生まれた共感。それが成澤さんを励ましてくれる。「ひとが財産」と成澤さんは言い切る。
  「震災後に新たに知り合った人たちにこの町を繰り返し訪れてもらうためにも、戸倉や神割崎のとっておきの美しい大自然を楽しめる環境を整備してほしい。」と彼女は南三陸のおいしさ、自然の美しさをひとりでも多くの人に伝えたいと、今日も店に立つ。

■ほったて小屋
南三陸町戸倉転石 4-1
TEL0226-46-9974
営業時間:月-火 11:00-19:00/木-日 11:00-19:00
※facebookはほったて小屋で検索してください。

三陸ポータルセンターはみんなで創るふれあいの場

南三陸ポータルセンター

ポータルセンターって何するところ?

  南三陸ポータルセンターが、南三陸さんさん商店街の隣りにオープンした。南三陸の町民が交流し学び合う場として使ってほしいと、日本アムウェイ合同会社が木造の居心地のよい空間を創り上げてくれた。仕切りを開けて広々とした大空間にしたり、小さな空間に仕切って小グループの会合や講座や稽古場にもなる便利な施設である。木の床や壁、大きな窓が、くつろげる空間を演出している。
  またその隣には、愛知県清須市から贈られ救世軍の支援で建てられた大型テントもお目見えした。150人ほどの集会も可能な大空間だ。再び南三陸の住民たちが顔を合わせて、さまざまなことを楽しめる場所がようやく誕生した。
  去る8月10日には、「南三陸とあそぼ!!」と題して6つのワークショップが同時開催され、多くの町民でにぎわった。子供からお年寄りまで、みんなが一堂に集まり、思い思いのものを作った。子どもたちの歓声や参加者の笑い声があちこちのテーブルから聞こえてくる。参加者から思わず声がもれた。
「こんな和やかな時間はずいぶんと久しぶり!」

  南三陸ポータルセンターは、一般貸し出しを行っている。
「町民のみなさんのアイディアで、町民同士が交流を深めたり、学び合ったり、憩いの時間を過ごしたりする場としておおいに活用していただきたい。」それが建設支援をしていただいた多くの方々の切なる思いである。
  南三陸ポータルセンターを管理している南三陸町観光協会では、町のみなさんが世代を越えて楽しめる場をつくり出そうと毎週土曜日にさまざまなワークショップを行っている。
  ぜひ一度、南三陸ポータルセンターを訪れてみてほしい。そして、町のみなさんのアイディアで、この場所をコミュニティ活性化の拠点に育ててほしい。

利用料金案内

  施設   区分 基本料金 追加料金 冷暖房費 設備利用
交流館 町内団体 2時間まで500円 1時間毎に300円 2時間まで500円 基本料金に含む
町外団体 2時間まで1000円 1時間毎に600円 2時間まで500円 基本料金に含む
テント 入場料金などの徴収なし 1時間まで1,050円 1時間毎に1,050円 1時間毎に1,050円 1回あたり1,050円(マイク・プロジェクター等)
入場料金などの徴収あり 1時間まで4,200円 1時間毎に4,200円 1時間毎に1,050円 1回あたり1,050円(マイク・プロジェクター等)

■利用可能時間 9:00-21:00 年末年始は休業

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東北三陸復興応援団は、応援団と現地の方が力を合わせて
復興を目指せる架け橋になることを目指しています。